大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和56年(行ツ)6号 判決 1985年4月05日

大阪市東区博労町三丁目三七-八

上告人

春次政明

同所同番号

上告人

春次光子

右両名訴訟代理人弁護士

木ノ宮圭造

滝井繁男

仲田隆明

大槻龍馬

谷村和治

安田孝

大阪市東区大手前之町

被上告人

東税務署長 中川清二

右指定代理人

山田雅夫

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五四年(行コ)第二〇号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五五年一〇月二九日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人木ノ宮圭造、同滝井繁男、同仲田隆明の上告人春次政明についての上告理由及び上告代理人大槻龍馬、同谷村和治、同安田孝の上告理由三の(一)1について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人春次政明が同上告人に対する本件更正処分及び過少申告加算税賦課決定に譲渡所得の帰属年度を誤つた違法があることを主張することは信義則ないし許されないというべきであるから、これと同旨の理由により本件譲渡所得の帰属年度を昭和四四年とした本件更正処分及び過少申告加算税賦課決定を適法とした原審の判断は、結局において正当として是認することができ、原判決に所属の違法はない。論旨は、採用することができない。

上告代理人木ノ宮圭造、同滝井繁男、同仲田隆明の上告人春次光子についての上告理由について

所論の点に関する原審の判断は、原審の適法に確定した本件の事実関係の下においては、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違背を主張するものにすぎず、原判決に法令違背のないことは、右に述べたとおりである。論旨は、採用することができない。

上告代理人大槻龍馬、同谷村和治、同安田孝の上告理由一、二、三の(一)2、(二)について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 監野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

(昭和五六年(行ツ)第六号 上告人 春次政明外一名)

上告代理人木ノ宮圭造、同滝井繁男、同仲田隆明の上告人春次政明についての上告理由

第一点 原判決は、所得税法第三六条第一項が所得金額の計算上収入金額の帰属すべき年分を法定しているのに、これを無視して、昭和四六年分の収入金額たるべきものを昭和四四年分であるとして違法に課税した原処分を取消さなかつた。

一、所得税法第三六条第一項は、「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額とする。」という。

ある収入がどの年分の所得と結びつくかを法定しているのであつて、税務署長はこの定めに従って収入金額の帰属すべき年分を認定しなければならず、国税庁長官といえども、本来帰属すべき年分をまげてまで、通達によつて課税年分の選択を納税者に許容することも許されない筈で、これに反して帰属年分を認定すれば所得税法第三六条第一項に違反する。

二、譲渡所得の計算上収入金額の帰属すべき年分については、譲渡所得税は、資産の値上りによりその所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会にこれを清算して課税するものであるから、右清算の基準点は、原則として、資産が確定的に所有者の支配を離れ他に移転する時期、すなわち、資産の引渡があつた日によるが、農地の場合は農地所定の譲渡の許可又は届出により譲渡の効力が生じた日と引渡しのあつた日のいずれか遅い日によるべく、この日がすなわちその年において収入すべき金額を定める基準となるのであって、このことについては、原審の引く御庁判例も後述所得税基本通達三六-一二の原則も一致しており、上告人も同意見である。

三、しかし乍ら、ある収入金額がその年に収入すべきものであるかどうかは、取引の実情によつては右の原則だけで画一的に決してしまうことが妥当でないことも十分予想されるが、税務署長がある収入金額がA年分に収入すべきものでないのに、A年分に収入するものと認定して更正、決定すれば右所得税法の規定に違反して違法となるから、事は慎重を要するのであつて、前項の原則に盲従して年分帰属を認定した場合に違法となることもあながちないとはいえまい。

四、ところで、国税庁長官は所得税基本通達(三六-一二)に於て、農地に関しては、第二項記載の原則を指示する外、「ただし、当該資産の譲渡に関する契約の効力発生の日により総収入金額に算入して申告があったときは、これを認める。」と付加している。

資産譲渡者である納税者の申告(確定申告)乃至その意思(原判決は申告は確定申告である必要はないというから納税者の意思ということになろう)が加わることによつて、引渡しでも農地法上の譲渡手続でもない、譲渡契約の締結が突然その効力発生の日をもつて、資産が確定的に所有者の支配を離れ他に移転する時期に転化するとは考えることができないから、右の通達は所得税法第三六条第一項が収入帰属年分を法定している点に違背する疑いなしとしない。殊に、契約時に於て農地法上の許可が容易に得られそうにない場合等は甚だ問題があろう。

五、敢て、右通達ただし書を適法に読もうとするならば、ここにいう申告を原判決のように確定申告以外の納税者の申出までに拡張することなく、確定申告に限定すればよいのである。

けだし、確定申告は、一個の行政行為であつて、私人の行政行為であるといえども、確定申告が一旦なされた上は、申告された収入金額の年分帰属の認定を含めて、確定申告が取消されたり変更されたりするまでは、一応その様なものとして適法に存在するのであるから、税務署長は、確定申告という行政行為がもっている収入金額の年分帰属の認定に依拠して、あるいは確定申告をそのまま放置し(申告是認という)、また、これによる帰属年分を前提に更正処分をしても違法ではないからである。

六、これに対して、原判決のように確定申告以外の方法による申出(たんなる意見の具申に過ぎない。しかも、一方では特別措置適用申請手続の要式性の故に申出を認めず、他方では課税維持の方向には不要式の意思をもって足るといつている)についてまで、収入金額の年分帰属の効果を承認することは、たまたま実質的に法定された収入帰属年分が、納税者が主張する帰属年分と客観的に一致していればともかく、そうでなければ、所得税法が法定している収入金額の年分帰属の規制を無視する結果となつて違法となる。原判決は、納税者に譲渡所得課税年分の選択権が与えられているかの如く誤解しているが、所得税法第三六条第一項がある以上かような選択権の入り込む余地はない。

そこで、行政行為である確定申告によって収入金額の帰属年分が適法に認定されていない場合、すなわち、確定申告以外の方法による申出があったに過ぎない場合を想定すれば、税務署長は、自己の職責に忠実に、取引の実情を調査し、通達遵守の義務があるのだから、原則としては前記基本通達の本則に従って引渡しの日若しくは農地法上の手続終了の日のいずれか遅い日の属する年分をもって、又、例外的事情により他の日が収入するべき日であれば、その日の属する年分の収入金額と認定して更正し、若しくは決定しなければならないのである。

原判決は、所得税法第三六条第一項が収入帰属年分を法定している点を看過し、理由もなく安易に納税者がその選択によつてこれを決定することができると考える誤りに陥っている。

七、本件に於て上告人政明は、南税務署長に提出した確定申告書にも、また、本件更正直前の昭和四八年三月六日被上告人東税務署長に対して提出した修正確定申告書にも、本件農地の譲渡による収入金額を総収入金額に算入して申告していないのだから被上告人は自らの職責に従って調査し、所得税法第三六条第一項の規定により、右収入金額を収入すべき年分が昭和四六年であったことを認定し、その上で更正すべきであったのにこれしなかった。

八、次に、原判決は、原判決理由二(二)2(1)乃至(10)の事実に加えて(もつとも(5)の申告を促した事実、(7)措置には適用できないとした事実は、全く証拠に基かない経験則に反する認定である)、上告人政明が本郷の土地の譲渡の時期及び譲渡所得税の課税時期を一貫して昭和四四年であると主張してきたから今さら昭和四六年分の収入だと主張してはならないという。

先づ、譲渡の時期は、譲渡契約締結の日とすれば、これが実際に昭和四四年であることもまた、上告人政明が譲渡契約締結の日が昭和四四年であると主張してきたこともその通りであるが、この点が原処分を維持する上に何らかの意味があるか全く理解に苦しむ。

前記通達自身引渡しの日若しくは農地法上の手続終了の日のいずれか遅い日をもつて、収入するべき日とせよとしているではないか。

九、上告人政明が、昭和四四年分所得税として課税の当否を争つたのは、被上告人東税務署長が同年分所得税として課税してきたからであつて、しかも南税務署長木田清蔵が課税はないといっていたからであり、上告人が争つてきたのはあくまで、課税が違法であるという主張をもつてなのである。本件訴訟においては、先づ、主張責任に従つて被上告人が課税原因事実を明らかにしたが(被告第一準備書面)、その際本件農地の譲渡については、昭和四四年一二月三〇日本件土地(農地といつていない)一一八m2を盛川啓一に譲渡し、三一、一五四、〇〇〇円の譲渡所得金額が生じた旨主張しているのであつて、この点はその通りであるから、上告人政明は認めたけれども、譲渡所得金額はこれを認めていない。若し、被上告人が、右準備書面でたんに土地といわず田と正確に主張しておれば、上告人政明はより早い時点でこれに応じた控訴審に於ける新主張を提出したであろう。

上告人政明はこの点について全く錯誤に陥っていたのである。

一〇、ひるがつて、被上告人東税務署長は、税法を適用し執行することを専ら職責とする。しかもそれに相応しい権限を付与された公務員であつていやしくも更正を行なうに際しては必要かつ十分な調査を行なうべきであるのに殆んど調査を行つていない。譲渡所得については、青色申告者(上告人政明も青色申告者である)の帳簿を調査した上で行なえとの規定はないけれども、少なくとも取引の実情については調査しなければならなかったであろう。

しかるに、本件訴訟に現われた証拠上被上告人東税務署長(勿論部下職員を含めて)が実際に調査した証拠は全くない。

結局のところ、本件譲渡所得の課税年分を昭和四四年分と誤認し、その後も、これを前提に係争せしめた原因はすべて被上告人側にあり、上告人側にはないことを強く伝えたいのである。

一一、原判決は、昭和四六年分所得の更正可能期間経過後に、本件譲渡所得の帰属年分を昭和四六年分であると主張することが正義に反するというが、もともと、上告人政明は昭和四四年分譲渡所得税が非課税であると主張しているのであつて、また、更正可能期間が法定されている以上、その経過後税務署長が更正できなくなるのは法律制度というものであつて正義とは何の関係もない。

もつとも、各人各様にあるわけだが、正当な更正処分ができないからといつて、違法な更正処分を維持することが正義にかなうとは到底思えない。

要するに、上告人政明の主張には正義に反する点もなければ、信義則に反する点もないのである。

上告代理人木ノ宮圭造、同滝井繁男、同仲田隆明の上告人春次光子についての上告理由

第一点 原審の判断は、上告人を理由なく差別して課税の延伸を承認しないものであつて、かゝる判断は憲法第一四条第一項に違反する。

一、事業用資産の買換えの特例の場合には、買換えた資産の事業供用の日について、旧租税特別措置法関係通達(昭三八直審(所)七九(六六)買換資産を当該個人の用に供した時期の判定)三一四一が建物敷地として用いる事業資産たる土地の事業供用日を、地上建物の建築に着手した日をもってする旨定めており、ここに事業には、事業に準ずるものとして貸家業を含むから、地上に住宅を建てることに着手しても、貸家とする目的の場合には着手と同時にその土地にその土地を目的たる用に供したといい、自分で住む目的の場合は用に供したといえないというのが、被上告人の主張であり原審判断でもある。

二、原審の曰くは、事業用資産関係については、租税特別措置法第三八条の六第三項にやむを得ない事情がある場合の補足規定がないから已むを得ないのだというにあるが、右法条にいうやむを得ない事情は、政令で定めることになつておるものであり、前項で指摘した取扱いとは関係がない。

また原審は、租税特別措置法第三五条の適用は厳格でなければならないというが、このことは当然のことであつて、敢て論ずるには及ばない。

三、結局のところ、上告人が遺憾とするところは、新築工事に着手することが、その敷地を事業(貸家業のことを念頭においているのである)の用に供することになるとすれば、何故新築工事に着手することがその敷地を居住の用に供したと解釈せずともよいのかというに尽きる。ことは、住宅新築工事着手が敷地の貸家業乃至自家居住の用に供することと解釈できるかどうかの単純な解釈問題であり、一方を他方と区別する理由がないということである。そこで、原審の様に一方を認め、他方を排すれば、合理的理由なく差別することとなるといわざるを得ないのである。

上告代理人大槻龍馬、同谷村和匁、同安田孝の上告理由

原判決には、理由不備乃至は理由齟齬及び判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違反違法があり到底破棄を免れない。

一、即ち本件の事実関係は次のとおりである。

上告人春次政明(以下政明)は、昭和三一年頃から東大阪市弥刀源氏ケ丘で内科小児科産婦人科医院を経営していたものであり、その妻である上告人春次光子(以下光子)は、右医院の経営に関与していたものであるが、右医院が立退き予定となつたことから医療金融公庫から融資を受けて無医村に病院を建設することを計画し、昭和三九年五月頃光子において奈良市中山円梅谷の造成分譲地を講入したが、造成業者が附近一帯の造成を完成せぬまま倒産したので同所での病院建設を諦め、翌四〇年六月頃光子において大阪府柏原市大県の土地を購入した。

然し計画より土地が狭かつたためとり敢えず地上にプレハブ造りの診療所兼看護婦宿舎を建築し管理医師を置き内科、レントゲン科、小児科の診療所を開設した。

而して更に外科、整形外科中心の救急病院を建てるため政明において昭和四二年七月頃右柏原市本郷の農地を購入したが、右大県での診療所経営が田舎でしつくり行かぬため、上告人等は昭和四三年頃からこれ等三ケ所の土地を処分して都会地における病院建設を思い立つに至つた。

尚、その間政明は柏原市本郷の土地の道路側前半分を岸紅広造に昭和四二年暮から二年余に亘り年額賃料二〇万円で廃材資材置場として賃貸し、後半分は前所有者の田中鉄次郎に買受時の昭和四二年七月から耕作目的で賃料を相当量の農作物又は現金にて賃貸し、光子は奈良市中山円梅谷の土地を浅沼組の下請業者であつた山中建設(株)に年額賃料二〇万円で建建機械や資材置場として昭和四〇年頃から同四四年頃迄賃貸していた。

そこで上告人等は都会地で適当な代替地を心がけていたところ昭和四四年になつて大阪市東区博労町の土地が見つかつたので伊藤税理士に買替えに伴う税金問題を相談したところ、当時南租務署長で近い将来東税務署長に栄転が予想される木田清蔵を紹介され、その頃木田署長の自宅を訪問して資産の買替えに伴う税金について指導を受けたところ、一年以内に病院を建れば資産の買替の特例という恩典があつて租金を払う必要がない旨及び若し病院の建築等が一年以上遅れても嘆願書を出せば良い旨説明を受け資産税関係の手続は難しいので申告前に資料を税務署へ持参すれば代つて必要書類を作成する旨の指導があつたので、上告人等は本件三ケ所の土地を売却し右博労町の土地を買取つて地上に病院を建設することを決意するに至つた。

而して上告人等は同年一二月奈良市中山円梅谷の土地を、同月三〇日柏原市本郷の土地と大県の土地を売却し同月一〇日大阪市東区博労町の本件土地を光子において買受けた。

但し、右売却土地中本郷の土地については農地であつたためこれを一旦光子の弟盛川啓一が買受け、改めて昭和四六年六月一四日政明と盛川啓一の連名でこれを訴外(株)シヤロンに売却し、同年八月一七日政明を譲渡人、(株)シヤロンを譲受人とする農地法第五条の転用届を提出し同年九月二一日政明より(株)シヤロンに所有権移転登記手続がなされた。

その後、上告人等は昭和四五年四月訴外矢島建設(株)と工事請負契約を締結し、博労町の土地上に八階建のビル建築工事にかかつたが旧建物の取毀わし、地盤軟弱による調査、基礎の設計変更、矢島建設(株)とのトラブル等からビルの完成引渡しが翌四六年九月となり、所有権移転登記手続は更に遅れて四七年九月となり、政明において百分の八三、光子において百分の一七の持分権を取得した。

ところで光子は、前記資産の譲渡に伴う税務申告手続につき、木田署長の指示に従い、昭和四五年三月一〇日頃南税務署を訪問し同署長に手続を依頼したところ資産税係長であつた高橋正義を紹介され、同係長に具体的な手続をして貰うこととなつた。

高橋係長は、同日一三日頃光子に資料等を持参させ光子から事情を聴取した上、租税特別措置法(以下措置法)の資産の買替えに必要な取得価額の見積額承認申請書類を光子に代つて作成したが、光子は詳しいことが判らず一切を高橋係長に説明し手続を依頼したので政明分についても同様の手続が出来ているものと信じ切つていた。

尚ビル工事が一年以上遅れる場合については高橋係長も嘆願書を出せば良い旨光子に説明した。

その後、光子は昭和四六年頃ビルの工事が前記の如く遅れ一年以内に完成出来なくなつたので再三南税務署に赴き高橋係長後任の坂本信行上席や菅田ヤス子に嘆願書の提出方を打診したが当初ビルも完成していないのに出しても意味がないと叱責されたのでこれを見合わせていたが、昭和四七年になるに及んで坂本上席から提出の指示があり、その指導助言通りの嘆願書を作成し同年三月三一日付で南税務署長宛に提出し受理された。

尚坂本上席は、右嘆願書提出に際し政明分について見積額承認申請が出てないが申請があつたものと認める旨明言し、上告人等につき本件譲渡資産の譲渡はなかつたものと見倣された。

然るに、その後南税務署の担当官が交替し、前記買替えに伴う形式的な書類不備を理由に前記承認を撤回した上一件書類を被上告人に移送し、被上告人は事情を全く調査せぬまま本件更正等処分に及び政明の本件資産の譲渡の全部、光子の本件資産の譲渡の一部につき措置法の適用を認めず、資産の譲渡による所得があつたものとした。

二、原判決は、第一審の判決理由を引用し、上告人等に措置法三八条の六の適用について手続的要件及び実体的要件を欠いているとした上、政明の原審における、柏原市本郷の農地の所有権が移転した時期は農地法所定の届出が受理され移転登記手続がなされた昭和四六年九月二一日であつて昭和四四年一二月三〇日ではないから、昭和四四年に右農地について譲渡があつたとする本件更正処分等は違法であるとの主張に対し、原則として農地については農地法所定の譲渡の許可又は届出により譲渡の効力が生じた日のいずれか遅い方の日によるべきであるが、納税者がその選択により契約締結日を含め右三つのいずれかの日を資産の増加益の清算時点とし譲渡所得税の申告をしたときはこれを認める所得税基本通達を容認しうるとし、且つ右通達に謂う申告は確定申告にその旨の記載がない場合でもその他の方法で選択の趣旨を表明した場合も税務署長がこれを認めることを禁止する趣旨ではないとした上、政明の昭和四七年三月三一日付嘆願書及びその後の異議申立、審査請求において一貫して昭和四四年一二月三〇日譲渡の主張をしているからその旨の申告をしたものと云うべきであるのみならず、更正可能期限後に譲渡時期の主張を変更するのは正義に反するものであるとして政明の主張を排斥し、光子の原審における仮に春次ビルとその敷地の三〇・九パーセントが非事業用であるとしても右部分は居住の用に供されているから措置法三五条一項の適用があるとの主張に対し、買換資産取得の日から遅くとも一年以内に居住の用に供したとは認められないとして光子の主張を排斥し、いずれも控訴を棄却した。

三、然し乍ら原審の前記判断には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反及び理由齟齬の違法が存する。

(一) 上告人政明関係について

1 政明は、柏原市本郷の農地を昭和四四年一二月三〇日、一且光子の弟盛川に譲渡する契約を締結したが、昭和四六年六月一四日盛川と連名で訴外(株)シヤロンに売却し、同年八月一七日政明を譲渡人、(株)シヤロンを譲受人とする農地法第五条の転用届けをなし、同年九月二一日に至つて漸く所有権移転登記がなされたものであり、原審も認める如く農地については確定的に所有権が移転した右時期をもつて譲渡資産の増加益を清算すべき時期とすべきである。

尤も、原審が是認する所得税基本通達では、右時期より早い時期であつても納税者が売買契約締結時、若しくは農地引渡時のいずれかを選択して申告したときは右選択を認めることになつているが、政明において昭和四四年分所得税申告に際し、本郷の土地譲渡につき資産の増加益を清算し譲渡所得に対する課税を受けるべき時期として申告した事実はない。

原審は昭和四七年三月三一日付嘆願書をもつてその旨の申告と見倣しているがこれが同通達に謂う申告書に該当しないものであること明白であるばかりでなく、第一審判決を引用し、政明において昭和四四年分所得税申告に際し本郷の土地の譲渡及び事業用資産買替えのための承認申請手続を全く採つていなかつたとした原審の冒頭の判断と彼我矛盾するもので甚だしい理由齟齬があると云わねばならない。政明の提出した嘆願書は、昭和四四年の譲渡であつたとしても措置法三八条の六の適用により当該年度に資産の譲渡はなかつたものとして取扱つて貰う趣旨で提出したものに他ならないものであり、第一審においてこれが認められなかつたところから、政明において昭和四四年度中には本郷の農地の所有権は確定的に移転しておらず、本来当該年度の譲渡所得とすべき筋合のものではないと主張するに至つたもので意図的に更正可能期限後を狙つて主張を追加したものではなく、従つて何等正義に反する主張ではない。

2 仮に、右本郷の農地の譲渡が昭和四四年一二月三〇日であるとしても、右譲渡は措置法三八条の六の適用を受ける実体的要件及び手続的要件を備えているものである。

原審は、右適用を受けるためには譲渡資産が事業の用に供されていることが必要であるが、この事業には事業と称するに至らない不動産等の貸付け等で相当の対価を得て継続的に行うものも含まれるとしながら、本郷の農地の道路側半分を岸江広造に廃材資材置場として年額二〇万円で賃貸していた事実について疑いがあり、仮に貸していたとしても一時的使用で相当の対価を得て継続的に貸付けていたとは認め難いとし、後半分を田中鉄次郎に賃貸していたことについて賃料の定めが具体性に乏しく契約の存在を証明する書証が存在しないとして実体的要件の具備を簡単に否定した。然し乍ら、右各賃貸の事実に証人岸江広造、同盛川啓一、上告人本人光子の証言等から明らかに認められるのである(田中鉄次郎については死亡しているので原審の弁論再開申請時に長男田中一光を証人申請)。

又手続的要件について原審は政明が昭和四四年所得税の申告に際し本郷の土地の譲渡及びこれに伴う措置法三八条の六の適用申請に必要な書類を出しておらず又口頭による申請及びこれに対する承認がなされた事実は認められないし昭和四七年三月三一日付嘆願書は措置法三八条の六、四項但書所定の書類とは認められないとした。

成程原審の云う如く、政明が見積額承認申請書を提出してないのに事実であるが、一の事実関係で述べた如く被上告人は光子より資産の買替えに関する措置法三八条の六の適用申請手続の相談と依頼を受けて代行したものであり、そうである以上ミスによりその形式的手続を怠つた責任は南税務署にあり、延伸期限認定申請について嘆願書を提出すれば良いと指導し、これに応じて政明が嘆願書を提出した以上措置法五八の六の適用の手続要件を充たしたものと認めるが相当であると云わねばならない。

そうでなければ、政明は南税務署の過失により不当に措置法の恩典を受けられなくなるものであり甚だしく公平と正義に反することとなるものである。

従つて政明の本郷の土地譲渡に対する措置法の適用につき実体的要件及び手続的要件を欠くとした原審の判断には理由齟齬乃至は理由不備の違法及び法令の解釈適用を誤つた違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであると云わねばならない。

(二) 上告人光子関係について

被上告人は、光子の資産の買替えについて、(1)春次ビルの共有持分百分の一七を取得したのは被上告人の承認した取得期間経過後であり、且つ右遅延の理由につき已むを得ない事情があるときは認められず買替資産となり得ない、(2)春次ビルの敷地である東区博労町の土地につきビルの一部に居住部分があつて全部が事業の用に供されていない場合は土地の事業供用部分の面積割合とすべきであり、土地取得費の全部について買替資産とは見られない、(3)譲渡資産である柏原市大県の土地につき、事業の用に供していたのは三分の二だけであつて全部について措置法三八条の六の譲渡資産とは認められない、(4)譲渡資産である奈良市中山円梅谷の土地につき、訴外中山建設(株)に賃貸していた事実を認める証拠がない、として措置法三八条の六の適用を一部しか認めずその残余に対して更正等の処分を行つたが、原審はこれを全て相当であるとした。

1 然し乍ら、春次ビルは原審も認める如く、旧建物の取毀し軟弱地盤の再調査、建設会社とのトラブルが重つて完成が遅延したものであり、これが措置法三八条の六第三項括弧書所定の「やむを得ない事情があるとき」に該当することは明らかであると云わねばならない。

原審は右規定の趣旨について工事の規模等客観的理由で一年を越える已むを得ない事情が認められる場合に工事遅延を宥恕するもので請負業者とのトラブル等主観的理由で遅延する場合を含まないと解するのが相当であるとしているが専ら工事規模の大小だけで客観性の有無を決めるのは合理性がないばかりでなく極めて不公平であり、真に工事遅延を宥恕し措置法の課税の減免規定の適用を受けさせる合理的、客観的事情の存否によりこれを決するのが妥当であると云わねばならない。

而して本件においてビル工事の完成が遅れたのは予期せぬ軟弱地盤、建設会社の施工ミス等いずれも上告人等の責めに帰すべかざる已むを得ぬ事情に基づくものであつて主観的理由とは言い難く措置法の「やむを得ない事情があるとき」に該当するものと云うべく原判決には法令の解釈適用を誤つた違反がありこれが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

そして光子が右工事遅延について南税務署に再々口頭による申請及び昭和四七年三月三一日付嘆願書による申請をなし、口頭で春次ビル完成の日迄を取得期間とする見積承認取得期間延長の承認を受けていたものであること光子の本人尋問の結果等により明白であり、これを認めなかつた原判決には理由不備乃至は理由齟齬の違法がある、

従つて光子の春次ビルに対する持分百分の一七に対して買替資産としての適用を認められるべきものである。

2 春次ビルの一部が光子等の居住の用に供されているのは事実であるが、同ビルは専ら政明の診療所、歯科医等に対する貸室等の事業の用に供されており、その敷地全体が右事業用春次ビル用地として利用されているのであるから本件買替土地の取得価額の全部につき事業資産とするが当然であり、ビルの一部に居住用部分があるからと云つてその建物全体に対する面積割合をもつて敷地の一部を非事業用資産であるとする原判決は経験則に反する不合理な判断であり違法であり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。

3 柏原市大県の土地は約三〇〇坪位あつたが、ぶどう畑であつたものを全般に二尺程盛土して整地した石垣とフエンスで囲い、奥の方に約四〇坪のプレハブ造りの診療所兼看護婦宿舎、医師宿直室、房等を建築し、前庭に外来患者等の駐車場として使用し、土地全体を一体として春次医院用地に利用していたものであり、これを三分の一と二に区切り三分の二だけを利用していたのでは決つしてない。

このことは光子の本人尋問の結果から明らかであるのにこれを無視し(尚上告人は原審の弁護再開申請時に右春次診療所の管理人であつた大塚たにの証人申請をしている)、他に何等の証拠もないのに右土地の三分の二だけが事業用資産であるとした原審の判断には明らかに理由不備乃至理由齟齬の違法があると云わねばならない。

4 奈良市中山円梅谷の土地について、光子がこれを中山建設(株)に年額賃料二〇万円で賃貸していたのは粉れもない事実である。

このことは証人盛川啓一の証言、光子の本人尋問結果からも明らかであり、その後発見し弁護再開申立時に甲一四号証として申請した中山建設(株)代表取締役中田為五郎の名刺(尚同代表者の証人申請もしている)からもこれが事実であつたことが窺われるのであり、原判決が単に同会社の商業登記が見当らないとの一事をもつて前記証言や本人尋問結果に疑問があると判断したのは明らかに証拠の判断を誤つたものであり理由不備乃至は齟齬に該るものと云わねばならない。

従つて右諸点についていずれも措置法三八条の六の適用を認めなかつた原判決は不当である。

四、仍つて、原判決を破棄し更に正当な判決を求めて本件上告に及んだものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例